「家庭内の雰囲気がずっと悪い」「何をやっても不快な顏をされる」「親の期待に応えられない」・・・不安定な家庭の中で生活せざるを得ない子どもたちがいます。
あるときは試行錯誤し親の機嫌を伺い、ある時は無力感を感じながらも、親という基盤がどうにも頼りないため子どもなりに心の安定を図りながら生き延びていきます。
そんな不安定な子ども時代を抜け出してようやく大人になり独り立ちできたはずなのに、なぜか息苦しさを感じ、自分の気持ちとの折り合いがつかない。
そのような、子ども時代の息苦しさを大人になっても抱えてしまう人々を総称して「アダルト・チルドレン」と呼ぶことがあります。
アダルト・チルドレンは決して「子どものような、大人になりきれない大人」という意味ではありません。言葉の意味を深く掘り下げていくと自分の生き辛さが何から来るのか、理解するヒントになるかもしれません。
アダルト・チルドレンとは?
アダルト・チルドレンという概念はアメリカ合衆国で生まれたものであり、「Adult Children of Alcoholic」の略称として使われていました。その名称のとおり、本来はアルコール依存症の家族がいる家庭の中で幼少期を過ごして大人となった人々を指すものでした。
しかし現在は対象が幅広くなり、アルコール依存症に限らず機能不全の家族のなかで育った人々=「Adult Children of Dysfunctional Family」を表現する言葉となっています。
診断名や病名ではなく、ひとつの概念として扱われています。
「機能不全」というのは安全な場所であるはずの家庭がその機能を正常に果たせないという意味で、子ども時代に家庭で身体的・精神的虐待が起きていたり日常的に心理的に追い込まれるような場となってしまっている状態を指します。
幼少期に、上記のような機能不全家庭で育つと大人になってもその影響が強く残るとされるのが、アダルト・チルドレンという概念の核なのです。
当然ながら子どもは、機能不全家庭に生まれたとしても、その家庭で生きていかなくてはなりません。家庭が安全な場所でないとしたら、可能なかぎり安全に生き延びるために子ども自身が努力をしないといけなくなります。
両親の仲を取り持つために過剰な努力をし続けたり、虐待から逃れるために自分の欲求を抑え込んでしまうこともあるでしょう。自分が犠牲になってまで家族を支えたり、取り繕ったりすることで家庭のバランスを保ち、自分の身を安全にしようとするパターンもあるかもしれません。
つまり、アダルト・チルドレンは「子どもらしい子ども時代を送ることができなかった人々」と言い換えることもできます。
こうした子ども時代の思考・行動の習慣は大人になっても根強く残り、成人してもなお本人を直接的に・あるいは間接的に苦しめることになるのです。
自責的な考えや思考が目立ったり、自己犠牲を続けたりすることで常に生きづらさを感じてしまい、他者とのコミュニケーションにも困難さがみられたりと様々な問題が出てくるようになります。
アダルト・チルドレンの原因
アダルト・チルドレンとの関連性を持つ要因は以下のとおりです。
機能不全家族の存在
機能不全家庭というのは、先述のとおり家族が「安全基地としての役割が果たせない」ことです。
では、具体的には親にどういった傾向・パターンがみられるのでしょうか。
親に見られるパターンの例
- 拒絶
- 矛盾(二重拘束・ダブルバインド)
- 共感性の低さ・あるいは無共感
- 親子間の境界線の欠如(侵害しやすい)
- 親子逆転
- 社会からの孤立
拒絶
拒絶はその名のとおり、子どもの存在そのものを拒絶することです。無視や否定も当てはまります。適切な距離が保てないという意味では過干渉と同じですが、こちらはより距離を遠ざけようとするパターンがみられます。
矛盾(二重拘束・ダブルバインド)
2つの矛盾する命令を他人にすることを二重拘束、ダブルバインドと呼びます。機能不全家庭の親は子どもに相反した命令や指示を出すことが習慣になっている場合があります。子どもがどちらを選ぶにしても、必然的にストレスがかかる状態です。
- 「もっと頑張っていい成績を取りなさい」と子どもを叱責したかと思えば、子どもがいい成績を取ると、
「勉強ばっかりしてると誰にも相手にされなくなるよ」と不機嫌になる - 「早く自分の部屋で着替えて」という指示と同時に、「早くこっちに来て皿洗いをして」という指示を出す
- 「あなたの匂いが嫌いだから近寄らないで」と言いながら、「抱っこしてあげるから来なさい」と相反したメッセージを出し、
近寄ると「来ないでと言ったでしょ」と突き放す
このように、子どもを物理的に・あるいは心理的に束縛することを指します。
当然ながら、こういうことが繰り返されると子どもは混乱します。何が正解かが分からないからです。
そして親は親で、「どちらをとっても正解ではない」状況を作り出そうとする心理があります。勉強しても不機嫌になり、「勉強だけやってればいいと思っているダメな子だ」と罵り、勉強しなくても「勉強しろといったこちらの意見を無視した悪い子どもだ」と激高します。
子どもは、こうした状況に陥るたびに「どちらを選んでも正解ではないし怒られる」と考え、緊張状態になり、どういう選択をしても良い反応が得られないことで「自分がダメな人間だから、何を選択してもダメな未来しかないんだ」と自己否定にも繋がります。
共感性の低さ・無共感
また、親のどちらかが共感する能力を持ち合わせていなかった場合も家庭内の機能不全を引き起こしやすいと言えます。
「共感」してもらう経験というのは、心の健康を保つために欠かせない要素です。
全ての他人に共感してもらえなくても、問題なく生きていくことは出来ますがこれが家族になると話が大きく変わってきます。
共感能力の低さの原因というのは、親に「共感する心の余裕がない」こともあるでしょうし、「発達段階においてすでに、共感能力の欠如がみられた」こともあるでしょう。
共感というのは「立場や状況が違えど心を共にする」のと同じです。完全に共感できなくても、「同じ立場に立とうと努力する」という姿勢を示してもらうことで、人は安心できるのです。原因が何にせよ、親に共感してもらえない状況が続くというのは、家族が近くにいても精神的な孤立を招くのと同じでしょう。
嬉しい気持ちも、悲しい出来事も理解してもらえない。まるでその訴えに興味がないように
感じてしまう。
そんな姿勢を見た子どもは「親は、子どもがどう感じようがどうでも良いのでは」と思い悩む充分な理由にもなります。
親子間の境界線の欠如(侵害しやすい)
親子といえど、他人は他人です。子どもには子ども自身の人生があります。
いわゆる過干渉と呼ばれるものですが、「自分と他人との境界が曖昧である」という特性を持つ親の場合、このような状態になりやすいです。
「自分と他人が別の人間だなんて当たり前じゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、実際には「自分と他人の境界が曖昧」という人は意外と多いです。距離が近くなるほどそういう状態に陥りがちであり、親子関係は特に距離の近さから「親は親、子は子」と頭では分かっていても心が納得しない場面が多々あります。
一体、「あいまい」とはどのような状態を指すのでしょうか?
良くみられるのは、
- 「子どもの進路に口を出しすぎる」
- 「交友関係を管理しようとする」
- 「“こうしたほうがいい”という自分の考えを押し付けがちになる」
などでしょう。
これらは、子どもに対する期待によって「子どもにこうしてほしい」という気持ちから「こうするべきだ(親のために)」というコントロール欲から起こる現象です。
この時点で、「子どもと親の境界」は少し曖昧になっており、「子どもの人生」を親の意志によって変えようとする行いになります。
ところがこれが行き過ぎると、
- 子どもが親の考える進路以外を選ばないよう仕向ける
- 行動や位置を逐一把握しておく(しておかないと不安でしょうがない)
- 交友関係を遮断し、親と過ごす時間を強制する
- 親と違う意見を示した場合は不機嫌になる、あるいはあからさまに悲観的になり罪悪感を植え付ける
というような行動に発展します。
この時点では「親と子どもの境界」はほとんど無いに等しく、親が「子どものすべてを把握するのは当然で、自分の思い通りに動いてくれないなんて、考えてくれないなんておかしい」という心理から陥る状況です。
支配に近い状況ともいえますが、子どももこの支配的な親に依存することによって共依存の原因にもなり得ます。
親子関係の逆転
親と子の役割が逆転してしまっている状態を指します。
もともと親というのは子どもが甘えられる相手であり、子どものわがままを聞く、欲求を満たしていくという役割も果たします。
しかし親子の役割が逆転してしまうと、親が子どもに甘え、子どもが親のわがままや欲求を満たしていく関係性になります。
親が子どもに要求する内容というのは、
- 子どもに自分のことを常に気遣ってほしい
- 自分の愚痴や辛かったことを親身になって聞いてほしい
- 「大丈夫?」「どうしたの?」と逐一声をかけてほしい
- 親が危険に晒されないように、庇護をしてほしい
- 親が困っていることを察知して、世話をしてほしい
と、本来は子どもが親に要求することそのものです。
そして、子どもの話を親が聞いてくれることはありません。
あったとしても、すぐ親自身の話にすり替わります。親子関係の逆転が見られる場合、親には子どもの話を聞いている余裕はなく、ひたすら「世話をしてもらう立場」で居続けます。
「親の不安を取り払わなければ」
「親の困ったことを解決しなければ」
という子ども時代を送っていると、子ども自身に困ったことがあったり相談事が出来たとしても、自分で解決しなくてはと考えるようになります。
社会からの孤立
子どもの孤立には家庭での孤立の他に、社会的孤立があります。
社会的孤立というのは学校などの教育機関での孤立、また地域での孤立が当てはまるでしょう。
- 両親がそもそも近隣の住民と全く接触を取らない
- 家族以外と関わるのを禁止される
- 母親が産後うつになり、人と関わろうとしなくなった
- 親が引きこもっている・あるいはほとんと外に出ようとしない
- 思いがけない妊娠などで孤立出産した場合や諸事情で人目に触れないよう生活する
- 親は外出するが、子どもは自宅で過ごさせる(子どもが外に出れないようにしたうえで)
- 子どもに必要な教育を受けさせない
- 教育機関などで大きなトラブルが起きても、親が適切な対応をしない
などといったケースの場合、子どもの社会的孤立が起こりやすいです。
家族との関わり上の問題がありながら、社会にも助けを求められない。
そして家族以外のコミュニティと接触する機会があっても、社会で過ごす時間が乏しいとそのコミュニティすら信用ができず結局相談も難しい。
子ども時代に社会から隔離されたアダルト・チルドレンでも、就職などを通じて社会と向き合う時間がやってきます。
しかし家族との関わりの中で自己防衛的・いつも緊張しがちな特性が出来上がっているうえ、適切な距離間や信頼というものが分からないアダルト・チルドレンにとって社会といううものはただただ「生きづらい」場所になりがちです。
そのため、親のコントロール下から離れた場合であっても、自分から社会と距離をとっていく場合も少なくありません。
虐待を受けて育った
虐待は、以下4つの種類に分けられます。
身体的虐待
直接的に、身体に暴行を加えることを指します。
無抵抗の子どもに対して「しつけ」や「罰」と称して加えられることもあれば、子どもが衝動的に物を壊す、家族に対して危害を加える場合に、それを押さえつける手段として用いられることもあります。
精神的虐待
子どもに対して否定的な態度を取り続けたり、自尊心を傷つけるような行いがこれに当たります。大声で恫喝したり、子どもが心理的に追い込まれるような状況を作り出します。
また、子どもの前で両親が争うなど「面前DV」と呼ばれる行為も、精神的虐待の一つです。
性的虐待
性的な行為の強要や身体を触る行為、性的な行為を子どもに見せるなどが挙げられます。周りにSOSを出すと変な目で見られるのではないかと、訴えることがなかなか出来ない被害でもあります。
ネグレクト(育児放棄)
子どもに対して必要な養育を行わないことが常習化している場合、このネグレクトに当てはまります。
食事を与えない、清潔を保とうとしない(入浴させない・着替えさせない)、病院受診や入院の必要があるにも関わらず必要な医療を受けさせない、などもこのネグレクトに該当します。
親がアルコール依存症であった
前述のとおり、アダルト・チルドレンという名称はアルコール依存症の家庭の研究から生まれたものです。
アルコール依存症の親を持つ子供たちも成人してなお「人間関係での問題」や「生きづらさ」を抱えることは以前から知られています。
アルコール依存症の家族を抱える家庭は、
- 硬直:アルコール依存症の家族が起こす問題にすぐ対応できるよう、常に緊張状態でいる
- 沈黙:家の中の問題や課題、それについての気持ちを抑圧する
- 否認:アルコール依存症という問題を抱えていることを本人も、家族も否認する
- 孤立:家庭内トラブルが周囲に晒されることのないよう、周りと関わりを避けて生活する
という特性を持ちやすいです。
もちろん、必ずしもすべての条件に該当するわけではありませんが、この家庭の特性に子どもが順応しようとする結果、
- 親の代わりに家庭内の責任を背負おうとする
- 家庭の特性に従い、家庭内でも社会でも距離をとってひっそりと生きようとする
- 問題や緊張状態を可能なかぎり和らげるよう過度な努力をする
- 自分自身が問題を起こし、無意識に家庭の問題から目を反らす役割を果たそうとする
と言われています。
後述するアダルト・チルドレンの6つの特性とも重複しますが、この努力の結果、子どもは成人した後もこれらの特性を引き継いで生きていくことになります。
社会に適応できず苦しんだり、あるいは一見適応できているように見えても、なぜか息苦しさから抜け出せず、何が原因かも分からないまま日常を過ごすしかない人もたくさんいるのです。
「毒親」という概念の存在
アダルト・チルドレンというワードと同等、あるいはそれ以上に浸透している概念が「毒親」です。
元々はアメリカの臨床心理士スーザン・フォワードにて作られた造語ですが、支配的あるいは放任的で適切な関わりを持たない親に苦しむ子どもが、“自分にとって有毒となる親”を表現するのに最適な言葉であったことから、日本でも急速に広まった考えになります。
毒親という表現には精神疾患を持っていて不安定であったり虐待が見られたり、広義で子どもにとって害を及ぼす親も含まれます。しかし表面化した問題を抱えていなくても、子どもの行動に過度に干渉する、子どもを逐一監視・支配しコントロールする、といったような監護者が存在する家庭であることもあります。
その場合だと、「親は子どもが心配なのだから仕方がない」「子どものためを思って親は逐一注意するものだ」という言葉に問題がすり替えられやすいです。
「育ててくれた親に文句を言ってはいけない」という社会通念はいまだに根強くあり、子どもは言いようのない苦しみをどう表現していいのか分からない。そして自分の苦しみを自覚しながら、あるいは無意識に押し込めたまま、人生を歩いていくことになります。
最も重要なのは、親というものは完璧な存在ではなく、時には子どもに対してネガティブな反応(怒ったり、否定したり、過干渉になったり)をするのが一般的ですが、それが長い年月にわたって続けられ、子どもの人格形成に悪影響を及ぼすまでに至ることが問題である、という点です。
- 「親には感謝しているが、好きにはなれず、関わりもあまり持ちたくない。こんなことを考えるのは自分が親不孝者だからだろうか」
- 「親が心配してくれているのは分かるが、毎日毎日細かいことにまで口を出されすぎて、誰の人生を歩いているのか分からなくなる」
そうした苦しみを抱えた子どもやそのまま大人になったアダルト・チルドレンたちにとって、「毒親」という概念は自分の身に何が起きているのか・自分の苦しみの正体は何なのかを捉える大きなヒントになるといえます。
もちろん、これらの事象は単独で起こることは少なく、様々な要因が複雑に絡みあっている家庭も多くみられます。
大事なのは、アダルト・チルドレンになったその人自身に問題があるわけではなく、そういった家庭環境と幼少期の傷による、いわば「後遺症」が残っているのだと解釈することです。
自分自身の考えや思考に苦しめられる場合は、自分の人格そのものが問題という思い込みから一歩離れて、自分の状況を客観視してみる必要があるでしょう。
アダルト・チルドレンの6つのタイプ
アダルト・チルドレンは、その特性によって幼少期より6つのタイプに分けられるという考えがあります。
全ての人が必ずこの6つのいずれかに当てはまるというわけではないですが、子どもたちがどういった役割を抱えているのかを理解しやすいように分けたものなので、理解の一助として使われることがあります。
ヒーロー(英雄)
家庭の外、つまり学校や社会において一定の評価を受けるのがヒーローです。
家族がその子の高い評価や受ける賞賛に注目し、家族の問題から一旦目をそらす役割を果たします。
賞賛されるために過度な努力をし続け、挫折に弱いのがこのタイプです。
スケープゴート(生贄)
家族が本来抱えている問題から目をそらすため、自分で新たな問題ごとを起こしたり「まるで出来ない」自分自身を演じる役割を持ちます。
大きな厄介ごとを持ち込んできたり、次から次に問題を引き起こす場合、スケープゴートの役割を持つ子どもは本来家庭が解決しなくてはならない問題を自分の問題にすり替えます。
あるいは、特に問題を起こしていなくても「不出来な子」として扱われ、犠牲になる場合もあります。
「ひたすら叱られる役割」になり、その間は家族が本来の問題に注目せずに済みます。スケープゴートを問題児扱いすることで表面上は一致団結するというわけですね。そうすることで家族の形を保とうとする、という表現が正しいでしょう。
これが、生贄と呼ばれる所以です。
ロスト・ワン(存在しない子)
自分の気持ちや意見をとにかく抑圧し、家族の内外でひっそりと生きていく子です。
家族の一員でありながら、まるで「いない子」として扱われ、本人もとにかく空気のように存在感を消して過ごします。
当然ながら、最初はこのように自分を抑圧して生きるような特性を持っているわけではありません。しかし機能不全家庭の中で「自分の考えを持つこと」「自分の意見を言うこと」は無駄でしかないという経験を繰り返し、まるで意志を持たないかのように自己主張というものを一切しなくなります。
そして、「存在しない子」として生きていくようになるのです。
プラケーター(なだめ役)
家庭の調和を図るため、大なり小なり気配りし、いつも家族に気を使っているなだめ役です。
後述するイネイブラー(世話焼き)のように積極的に困っている人のために奔走するようなタイプではなく、問題解決のために行動するわけではありません。あくまで家族の愚痴や困りごとの聞き役に徹したり、慰め役として動きます。
その役回りを演じるのは、家族の関係をできるだけ良好に保つという意味合いもあれば、自分自身が非難や虐待に巻き込まれないようにする、という自己防衛の手段であるパターンもあります。
ピエロ(道化師)
「ひょうきん者」として存在し、なだめ役であるプラケーターと違う形で場を和ませようとします。例えば家族の中でいさかいが起ころうとしたときに急におどけたり、笑わせようとするなど、第三者から見ると「陽気に」「ポジティブに」生きているように見えるのがこのタイプです。
ただ、この「陽気さ」はあくまで家庭内の緊張をどうにかして緩和させるための手段であり、本人が楽しくてそう振舞っているわけではありません。
ですから、明るいタイプに見えても関わってみると本来の気質とかけ離れていることがあり、置かれている心理状態とは真逆のキャラクターを演じ続けるハメになるためひどいストレスに晒されていることも。
そして、笑顔やおどけによってもトラブルが解決できない、場を和ませるのに失敗したといった場合には更に強い負担がかかり、ひどく落ち込む場合があります。
イネイブラー(世話焼き)
プラケーターのように、受動的に慰め役となるタイプとは異なり、積極的に行動に移して家族の問題を救済しようとするのがこのイネイブラー(世話焼き)です。
家族の問題を自ら尻ぬぐいをするのもこのタイプであり、
- 家族の借金を肩代わりする
- 仕事上の失敗の身代わりになる(代わりに仕事をしたり、穴を埋めようとする)
- 人間関係のトラブルを仲裁する
- 飲酒が原因で暴れて壊れたものを片付ける
と表面的には問題を解決するように奔走します。
これをイネイブリングと呼びます。
しかしイネイブラーのこうした行動は、問題を起こしている本人の問題行動を助長すると言われています。
例えば問題の中核になっているのがアルコール依存症の家族である場合、お酒が原因で起こった原因や失態を、イネイブラーが解決してくれるのでアルコール依存症者本人はさほどお酒の問題を大きく捉える機会がなくなるのです。
イネイブラー自身も親の問題行動について「どうにか改善してほしい」と表面上振舞いながら、しかし親の問題行動がなくなってしまうと自分の存在意義が無くなってしまうと無意識に恐怖を感じており、相手の自立を阻みます。
先述した親子関係の逆転が起きている場合は、更に子どもが親を甲斐甲斐しく世話するなど、親を様々な側面から守る役割を果たしていることが多いといえるでしょう。
共依存を起こしやすい
共依存では、「問題を起こしている本人」と「それを支えている(支えることに生きがいを感じている)」がお互いに依存しあう形をとります。
アダルト・チルドレンはどのようなタイプであっても家族のバランスを取りつつ生き延びていくのが特徴で、「トラブルにはもう二度と巻き込まれたくない」と思いながら、大人になってもその役割を果たせる関係性を自然に望むのです。
さらに自己肯定感が総じて低いアダルト・チルドレンは、自分の価値や判断を他人に委ねることが圧倒的に多くなります。そのため恋愛・結婚相手に依存しやすい特徴があります。
また救済役を買って出るイネイブラーのタイプでは、「自分がいないとこの人は生きていけない」と思い込みやすい傾向にあり、他のタイプよりも強い共依存状態に陥りやすいです。
世話焼きというのは本人には一見問題がないように見えますが、成人しても親を守る役割を担っていて他の人間関係が疎かになってしまったり、他に慰めが必要そうな弱い人を見つけては放っておけず必要以上に世話を焼くなど、トラブルを抱えている人に自分から近寄っていってしまう傾向にあります。
“アルコール依存症の家族を持って苦しんでいたのに、大人になって結婚した相手もアルコール依存症だった”というのはよくある話かもしれません。幼少期家族との関わりの中でイネイブラーとしての役割を果たし、大人になっても同じようなトラブルを抱えている人の「救済役」を買って出ずにはいられない、といった心の仕組みがそうさせているのです。
また「他人の世話を焼く」ことに必死になるので、自分自身の問題は二の次になってしまうことも。
精神疾患との関連性
アダルト・チルドレン自体は概念であり正式な病名ではありません。
しかし自己肯定感の低さや他者とのコミュニケーションの取りづらさ、社会生活への不適応などの問題から、
- うつ病
- アルコール依存症
- 不安障害
- 適応障害
- 摂食障害
などの精神疾患・障害との関連性が指摘されています。
アダルト・チルドレンは嗜癖(しへき)行動を起こしやすいと言われます。
嗜癖とは「ある特定の行動や物質、人間関係などが“自分にとって不都合であるのに”やめられない状態のことです。
不都合というのは身体的・精神的・社会的なものに分けられます。
多くはアルコールやニコチン、鎮痛剤や眠剤などの薬剤、覚醒剤・マリファナなどの違法薬物が用いられます。
自分の健康の害になるのが分かっているのに過食してしまう、あるいは拒食してしまい摂食障害に繋がりやすいのもこの嗜癖行動の特徴といえるでしょう。
アダルト・チルドレンの治療
アダルト・チルドレンは病気ではないためそれ自体に有効な薬や確立した治療法はありません。
そのため上記の二次的に起こる精神疾患・障害に対して投薬をしたり、カウンセリングなどの治療を進めることになります。また、アダルト・チルドレンの当事者会やグループミーティングへの参加なども「生きづらさ」への対処法として有効になる場合があります。
薬物療法
うつ状態などの落ち込みや不安がある場合は、程度や状況に応じて投薬を行い、治療していきます。
うつ病は脳内環境のバランスが崩れてしまうことが一因とされており、抗うつ剤は脳全体で働く神経伝達物質の働きを促す作用を持つことで、うつ病の治療の助けになるとされています。
過剰に不安を感じてしまう・あるいは適切でない場面で恐怖心を感じてしまうなどの症状がある場合は、抗不安薬などを用いて不安を軽くできるように治療を行います。
その他、一人ひとりの症状に応じて漢方薬なども処方し、経過を見ながらその人に合った治療法を選ぶことが重要です。
症状が出て困ってたり、生きづらさが長い期間続いていたとしても、病院に足を運んだり薬を使うことに対してあまり良い感情を持たない方もいるでしょう。
ですが、薬というのはあくまで治療の土台になるものなので、「不安や落ち込み」が軽くなれば、次のステップに進んでみようというモチベーションに繋がる場合もあるでしょう。
認知行動療法やカウンセリング
投薬と同時に認知行動療法やカウンセリングを行い多角的なアプローチを行います。
アダルト・チルドレンは、どんな特性を持つにせよ「家族の形を保ちつつ生き延びるための最善の策」を実践してきていた人々です。
その生き方が子どもの頃から当たり前であったのに、その特性に同時に苦しめられるようになってしまう。
それは、子どもが子ども自身の気持ちを顧みる機会も持たされず、家庭環境と他者からの評価に合わせて生きていくほかなかったためです。
自分の過去の苦しみを認めたり当時を振り返ることはとても不安を伴うことでもありますし、ましてやそれを「治療」しようとすることは、人によっては自分の生き方そのものを否定しなくてはならないように感じてしまいます。
過去の振り返りを、少しずつ専門的な知識を持ったスタッフにサポートをしてもらいながら「一緒に」行っていくことで、不安を和らげつつ生きづらさの改善を目指していきます。
当事者会・グループミーティングへの参加
アダルト・チルドレンの当事者会に参加することでも、自分の気持ちを知ったり周りの人の意見を聞き、アダルト・チルドレンについて理解を深めることができます。
当事者会は全国各地で開催されており、「会」とは言ってもアダルト・チルドレンの体験や想いを「言うのみ」「聞くのみ」で、それに対する批評や感想などを言う時間は設けられていません。
自分の体験やこれまで感じてきたこと、これからの想いなどすべてその場で受け入れてもらうことが出来るのが強みといえるでしょう。
まとめ
アダルト・チルドレンは子どものころから、自分自身を出す機会を制限されてしまいます。そして家族のために・他人のために生きることが当たり前になることで、自分の気持ちが分からなくなり、息苦しさを感じていてもそれは自分自身が至らないせいだと自責的思考になりがちです。
しかし、それは家族の問題を一身に引き受けざるを得なかったゆえに起こったもので、その人自身には本来何の責任もないのです。
気負ってしまい、「医療機関などには頼れない」「何をどう改善していいのか分からない」といった場合も、まずは「とりあえず軽く相談してみる」という気持ちで受診してみると次のステップが見えてくるかもしれません。
監修
新橋メンタルクリニック
院長 狩野 彰宏
「メンタルケアで全ての人が今よりも生きやすく輝ける未来を目指して」
明るい未来を紡ぐために、当院は一心一意に皆様の心に寄り添ってまいります。
心のお悩みや困りごとがありましたら、どうぞ何なりとお問い合わせをくださいませ。
「メンタルケアで全ての人が今よりも生きやすく輝ける未来を目指して」
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